山本”KID”徳郁選手のロジカル紹介
総合評価 | ★★★★★ |
---|---|
打 | ★★★★★ |
投 | ★★★☆☆ |
極 | ★★☆☆☆ |
※評価方法:選手が全盛期のときに、その当時の世界最高峰の興行に出場した際の評価(世界最高峰の興行に出場していない場合は、出場したと仮定した評価)
こんにちは、ロジカルMMAです!

選手名鑑2人目は好きな日本人選手を選びました。
「山本”KID”徳郁(のりふみ)」選手です。
KID選手は残念ながら2018年に41歳という若さで亡くなっていますが、日本MMA界に大きなインパクトを残しており今なお伝説は語り継がれています。KID選手のステータスは以下です。
山本”KID”徳郁選手とは
山本”KID”徳郁(やまもと”キッド”のりふみ)
- 生年月日:1977年3月15日
- 国籍:日本
- 身長・体重:163cm・64kg
- バックボーン:レスリング
- 戦績:26試合中 18勝6敗 無効2試合
父がオリンピック元レスリング日本代表の「山本郁榮(いくえい)」、姉がレスリング世界選手権優勝の「山本美憂」、妹が同じくレスリング世界選手権優勝の「山本聖子」という、レスリング一家に生まれています。(山本聖子さんの旦那さまはメジャーリーガーのダルビッシュ有選手です。)
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当然、KID選手も幼少期はレスリングに明け暮れ国内レベルではトップクラスの実績を残しますが、2000年にMMA転向を果たし大成功を収めました。
また強さのみならずファイトスタイルや発言、ルックスの全てにインパクトがあるため、2000年代中盤では格闘ファンのみならず若年層を中心に抜群の知名度、人気を誇り、TVや雑誌等、数多く取り上げられました。
KID選手の全盛期の二つの特徴
プロとしての活躍期間は2001年~2015年ですが、ピークの2005年前後は恐らく日本最強クラスだったと思います。また当時MMAシーンの中心が日本にあったことを考えると当時の世界最強クラスと言っていいでしょう。(もちろん軽量級としてです。)
世界最強クラスだった全盛期には顕著な特徴が二つありました。
- 特徴1:
戦いの条件に拘らないことです。例えば専門外であるキックの試合に出場したり、自分より体重の重い選手とでも戦う等、自分が不利な状況でもそれを厭わず戦うことです。言ってみれば自らハンデを背負いに行くようなものですが、それはKID選手の絶対的な自信の表れとも言えます。 - 特徴2:
バックボーンがレスリングであるにも関わらずタックル等のレスリング技術をほとんど出さず、強烈なパンチを中心としたストライカーであることです。KID選手は身長が163cmとかなり小柄なため大抵の場合は対戦相手にリーチで劣りますが、そのリーチ差を瞬時に帳消しにしてしまう踏み込みの速さがあります。また動いている相手の顎を的確に捉えるのが極めて巧く、所謂「当て勘がいい」選手です。
これらの特徴が最も顕著に現れたのが、かの有名なK-1チャンピオン「魔裟斗」選手との一戦です。
K-1:KID選手vs魔裟斗選手

魔裟斗選手
KID選手はMMA選手でありながらキック興行であるK-1に活躍の舞台を移したかと思ったら、何と2戦目で「魔裟斗」戦を実現させてしまいました。
キックのキャリアとしても圧倒的不利なだけでなく、魔裟斗選手の70kgに対してKID選手は64kgという体格的にもハンデがあった中で、1Rには得意のスピード抜群の踏み込みからのパンチで先制ダウンを奪ったのです。これはまさに「当て勘がいい」KID選手ならではのパンチです。
その後、不運にも魔裟斗選手の強烈なローブローにより動きは落ち、その後ダウンも奪い返され判定で敗れてしまったものの、「ローブローがなければKIDが勝っていた」との意見もありファイターとしての地位を格段に向上させました。
余談ですが、キック正統派の魔裟斗選手は、MMA出身のKID選手に苦手意識を持っていたはずです。こういったことは往々にしてあり、魔裟斗選手がリスペクトとするキックのレジェンド「アーネスト・ホースト」選手が「ボブ・サップ」選手に敗れた試合にも同様の傾向が見られました。(詳しくは「アーネスト・ホーストに失望した日はキックを見なくなった日」参照)
MMAでの活躍
その後は再び本職であるMMAに戻り連戦連勝連続KOを続け、2005年大晦日「須藤元気」戦でKO勝ちを収めてHERO’sチャンピオンに輝いています。
そのチャンピオン初戦となる「宮田和幸」戦では開始ゴング直後にダッシュし飛び膝蹴りを宮田選手の顎に直撃させ、何と僅か4秒でKOという記録を打ち立てています。これは恐らく世界のMMAでの歴代最短記録だと思います。リング対角線が10m弱で、平均時速20km/hで走って対戦相手に向かっていっただけでも2秒弱かかるので、4秒KOは本当にものすごい記録です。

宮田和幸選手
その後は膝の怪我やブランク等もあり全盛期の動きから劣るようになり、さらにそのような状態で世界最高峰MMA興行である「UFC」を主戦場としますが、4戦0勝3敗1無効試合と振るわずそれが最後の戦績となりました。
全盛期には凄まじいファイトを見せてくれたKID選手ですが、そのキャラクター性も脚光を浴びました。特に若い頃は熱くなると制御できないところがあり、レフェリーの制止を無視して相手が失神した後も舌を出して挑発しながら殴り続けたり、リングドクターを蹴とばしたりすることもありました。また発言もユニークでインタビューでの「(自分は)神の子」や宮田戦後のマイクでの「やべー、かっこよすぎる、俺。」等は有名だったり、タトゥーが試合毎に増えていき全身タトゥーだらけになっていったのもインパクト大でした。
またキャリア終盤は人間的に大らかになっていったように見えます、これまでの自信満々の発言から周囲を気遣うような発言に変わっていったように感じました。
さらに、五反田駅のホームに転落した高齢男性を救おうと真っ先に線路に降りて行って救出に取り組んだエピソードも人間的な魅力を感じさせます。
以上、KID選手のファイター人生と人間性についてまとめました。MMAが技術的に発展を続けていますが、やはりこういったスターもMMA自体の発展に必要だと常々思っています。MMAが大きくなるには何といってもビジネスの拡大が不可欠ですからね。今後もMMAの技術とスター性に注目していきます。
それでは明日もロジカルに!
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